好き、嫌いと正しいと間違ってる。

AIKO

2019年05月26日 12:58


こんにちはーAngeです。

今日は最近気になっていることを

テーマにしていきたいと思います。



今日のテーマは

「正しい」「間違っている」と

「好き」「嫌い」

のこと。


この2種類の何が気になっているかというと、

「正しい」=「好きなこと」になっていたり

「間違い」=「嫌い」が同じになっていたりすること。


そもそもは「正しい」「間違っている」ってなかったと思うんです。

赤ちゃんには、好きと嫌いはあるけれど

正しいことと間違っているという判断はありません。

成長するにつれて少しずつ社会性を身に着けている過程で

私たちの意識の中に組み込まれていくのが正しいと間違っているです。


だから

「好き」でもやっていけないこともあるし

「嫌い」でもやらなきゃいけないこともある。

それが、

好きだけど間違っていると

嫌いだけど正しいものに分かれていきます。


好きだけど間違っているものは批判されたり、禁止されたりして自分から遠のいていくし、

嫌いだったのに正しいことだと矯正されたり、褒められたりしたことはどんどん近くなってきて、

そうするうちに

正しいことが好きなことで

間違っていることは嫌いなことのように

感覚が逆転してしまうことがあります。



正しいことは、誰からも批判非難されないし、

そうされたとしても正しいから堂々としていられるし

これでいいのだろうかと揺らぐこともなくキリッとしていられたりして

落ち着いていられるんですよね。


逆に間違っているときには

怒られたり、嫌がられたり、注意されたり、場合によっては怒鳴られたり

嫌な気持ちと結びつく結果が多い。


このプロセスを繰り返し体験することで

好きな感覚になれるのは正しいことをしている時。

間違ったことをしているときは嫌な気分。

だから正しいことが好きで、間違ったことは嫌いなこととなっていく。



でも、やっぱり好きなことと正しいことは違っているし

嫌いなことと間違っていることは違います。


苦しいことやつらいこと、ネガティブな感情を味わうことだって

なんにも間違っていないんです。

ただ生きていて、そんな場面に遭遇して

そう感じただけなんです。

苦しくて、つらくて、嫌かもしれないけど、

それはあなたが何か間違っているから起きるものではない。

私たちは生きているからこそ、感情があり、感覚あり、それを感じることができるのですから

むしろ正しいことに入ります。



正しいと間違っているという基準は

社会性という枠組みの中ではとても大切。

たくさんの人々がルールを共有することで社会が安定します。

でも、

正しい間違っているという基準だけではちょっと物足りない。

というか、もったいない。

ルールだけを基準にしちゃうと

私たち一人ひとりがせっかく別々に存在しているのに

それぞれに個性があるのに

だからこそ、みんなでまとまるための大きな社会的なルールが必要だったのに

まとまるためのルールだけを基準にしちゃうと

私たちである価値が損なわれてしまう。


好きも嫌いも、その感覚はあなただけのもの。

どうか大切に、その感覚とともに生きてみてね。

そしてたまには冒険しよう。




Ange
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うちのネコを見ていて、

いつも不思議だったんです。

なんなんだろう、このコたちは。。。って。


特に後輩ネコは怖いもの知らずで

ガスコンロに飛び乗ろうとして火をつけたり、

エアコンの上まで行って下りられなくなったり、

先輩ネコにやりすぎて蹴り飛ばされたり。



Angeからしたら

ご飯食べて、遊んで、寝ているときが幸せなんだろうと思っていたんですけれども

どうもそうではないらしく、

水かけられてびっくりしたときも、

狭いところに手をつっこんで何かをあさぐっているときも、

危険だからとケージに閉じ込められて不満タラタラのときも、

雷におびえてネコちぐらの中に隠れてじーっとしているときも、

いっつも幸せそうなんです。

まるっと、全部で生きることが幸せ。

そんな姿を見せてくれます。

命は、きっと生きていることそのものが幸せなんだろうなー

死が不幸というわけではありませんが、

どうだから幸せなのではなくて、

生きていることが幸せなんだと。


そう思えたら、それこそ幸せ☆

すべて解決ですね!


というわけで。

幸せのアゴです。

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